古代の昼と夜の捉え方は現代の捉え方とは違う感性の世界。昼夜は現代のように連続していなかったという。
音の発生源に関わらず例え物の音でも全てを声と捉え境界線が無かったのだそう。別世界と通じる世界があると考えられてる。闇は音と触感の肌感覚の世界(そういえば「闇」という字は音が入ってる)。昼と夜はくっきり分かれているとするならば、その間の世界(朝方や夕方)は狭間の混ざり合う溶けているような怪しく不思議な世界だったのだろうか。
別世界に通じる感覚は現代でも私たち一般人でもよくわかる感覚なのではと思った。御伽話はあり得ない話ではなかった。作り話も勿論あっただろうけれど本当にあったこととして捉えられていたことも考えられる。本人にとっての事実も不思議な話として語り継がれる話もありそう。
結界のような、一線を引かれそこから一歩も進めない空間というのを体験した人は本当は少なくないのではないだろうか。そこには何も見えないのに圧倒的存在感があり威圧されてしまう。それを昔の人はそこに神がいると考え結界としてしめ縄を飾ったりしたのかな。なんて。
言語化できない世界への畏敬。身体的感覚の鋭さ。そんなことを想起させてくれた今回はとても面白かった。
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::::::::::::::::::今回のお話::::::::::::::::::重くて軽い、生きる意味/友の死、心に穴/喪失に恐怖する王/孤独な不死探索の旅/地図の端っこ、現実の外へ/ドウェイン・ジョンソン的蠍人間/闇のトンネル七進七出…
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